特区並みの優遇策 9

また、上海証券取引所の李祥瑞理事長(上海交通銀行頭取)は「外資系企業の株式発行、それに国営企業の株式化によって株券の種類と数量を増やしたい」と述べています。


将来の株式市場化を視野に入れた答えといえるでしょう。


そして、外国人による株式の売買について、朱鎗基市長や李理事長らは「外国人を対象にした特別のB種株を発行して上場する方法を考えている」ことを明らかにしています。


発行対象を現在の上場企業から選んで年内にも試行に踏み切りたいとしているのです。


この株の発行範囲を国内に限るのか、海外市場にも出すのか、そのときの引き受け証券会社をどうするのかなど実際に即した課題も多いです。


ともかく、外国人が市場に参入することによって起こる証券会社の外貨管理や市場の管理制度の整備、さらに外資系企業の株式発行へと進むなかで、国際的にも通用する制度や法律の整備を急ぐ必要に迫られてきています。


しかし、こうした金融改革・開放を進めることは外国人、外国企業による中国企業の株式保有を許容することになるわけで、中央集権の計画経済の大枠にかかわる問題でそう簡単に解決できることではないとする見方も依然強いです。


いずれにしても「浦東開発」の資金調達マシーン、上海証券取引所の歯車が回りはじめたことは間違いないでしょう。


国内資金、外資を合理的に取り込んでいくために、次にどんな歯車を組み合わせればいいのか、その鍵を握るのは言うまでもなく中央政府です。


特区並みの優遇策 8

やはり取引の中心は国庫券で全体の60パーセントを占あており、株式は10パーセント程度になっています。


株式取引が思ったほど伸びていないのは、開業後まもなく起きた投資家の「過熱」を冷ますためにたて続けに行った「値幅制限」によるものです。


わずか1か月余りの間に3パーセントから1パーセント、そして0・5パーセントに下げたためです。


それだけ売買益に群がる投資家が多かったのです。


「株は儲かるもの」という意識ばかりが先に立って、「株にリスクはつきもの」という意識が一般投資家に薄いことを警戒した結果、とられた措置でした。


基本的には市民の株への熱の高さに比べて上場銘柄がまだ8銘柄と少ないことから起きる問題で、いまのところ1回の取引数量の制限などでしのいでいますが、今後は上場株の多様化と数量を増やすことが求められています。


これについて、朱鎗基市長は


「企業の株式化と上場数を増やすことについては、去年(1990年)の暮れに開かれた7中全会(中国共産党第一3期中央委員会第7回全体会議)で、すでに決定されている。


株式の発行について具体的な検討をしているが、国務院の批准が必要だ」と語っています。

特区並みの優遇策 7

解放後41年ぶりに社会主義・計画経済の下で復活した上海証券取引所について、朱鎗基市長は91年3月15日のNHKの単独インタビューに対して次のように答えました。


「計画経済だから社会主義、市場経済を取り入れたからといって資本主義になるとは思わない。


区別はそんなところにあるのではない。


資本主義の国でも計画的な経済政策を取り入れているところも少なくないのだから、資本主義市場経済のメカニズムと市場調節を社会主義建設に取り入れて、『社会主義証券取引所』をつくることは可能である」


こう述べて、計画経済と市場経済それぞれが持つメカニズムと役割を両立させながら結びつけていくことを強調しました。


そして、「いまは模索中だから、あんまりしゃべりすぎるとね……」と言いながら「改革をやあることはないんです」と結んでいます。


現在、上海証券取引所には30種類の証券が取引の対象になっていますが、大半は国庫券や企業債、それに金融債で、株式はまだ8銘柄しか上場されておらず、債券市場の性格が強いものになっています。


しかし、企業の資金調達手段の多様化を促す金融改革のステップを踏み出したわけで、証券取引所は金融制度の根幹をなすシステムとして主要な役割を果たしていくことになります。


90年12月の開業からこれまでの半年間で、債券と株式を合わせた取引高は91年5月末の時点で30億元に上っており、90年度の店頭取引の総額の24億元を半年で超えています。


特区並みの優遇策 6

新しい証券取引所や証券公司をリードしていく幹部には「解放後」生まれが多く、学問だけの証券知識しか持っていません。


そんな彼らに生きた株のメカニズムを教える役目が回ってきたからです。


名刺に刷り込まれている「顧問」がそれを物語っています。


林さんは音響機器製造会社の株を10株買いました。


挫折した株人生の余暇を楽しむように、いま新たな夢を追い続けています。


新生「上海証券取引所」は、外灘からガーデンブリッジを渡るとすぐ右側に見える「浦江飯店」の1階にあります。


伝統的なホテルの大ホールを改装してつくられた取引所だけに、できたばかりとは思えない重厚な感じ。


大きな電光掲示板、取引ブースや各証券会社の係員が座る会員席のコンピュータ端末など最新機器と対照的です。

特区並みの優遇策 5

面白いほど儲かって、あっという間に庭付き洋館の自宅に自家用車、そして、金塊などを持つ資産家にのし上がっていきましたが、林さんのリッチな暮らしはそんなに長くは続きませんでした。


新中国誕生とともに証券取引所は閉鎖され、林さんの証券会社は解散。


その後は国営の玩具工場の労働者として定年まで働いたのです。


この間、文化大革命の嵐のなかで林さんは「投機の罪」で捕まり、ブルジョワ階級として取り調べを受けたこともあります。


こうした苦い思い出について多くを語ろうとしない林さんが、ここぞとばかり口が軽くなるのは、やはり株の話をするときです。


毎週月曜日に町内の老人喫茶室で開かれる「証券情報交換会」ではそのリーダー格として解説役を務めています。


林さんら、こうした解放前の「株屋さん」たちが証券市場の改革を進めていく上で、知恵袋として再び日の目を見ることになりました。

特区並みの優遇策 4

貯蓄意識を投資意識に変えることが必要である以上、投資メリットがなければ庶民の心は動きません。


89年に銀行が募集した物価スライド預金は、企業株式の年利息と配当金を合わせても物価スライド預金のほうが高い利率となり、株式は売り1色になったことがありました。


こうした事態はその後の株式の発行に少なからず影響を及ぼし、中国人民銀行上海分行はこの年予定していた数社の株式の発行の認可を1時見送ったといわれています。


上海証券市場の主管機関は中央銀行である中国人民銀行上海分行です。


民間資金の活用を進めるためのテスト段階であるとしながら、証券の売買システムを整えていくなかで、個人投資家も急速に増え、いまでは上海の証券人口は100万人ともいわれています。


まさに、上海の街が解放前に持ち合わせていた「金融都市」としての素顔が、解放後41年の歳月を経て、庶民の心の中にいままた登場してきた感が強くするのです。


「まさか自分が生きているうちに、上海で再び株がやれるとは思ってもみなかった」と林さん(75歳)は感慨深く話してくれました。


林さんの名刺には「上海市金融学会証券研究会顧問」の肩書きが刷り込んであります。


林さんは16歳で証券会社の見習い社員としてこの世界に入り、20歳のときにはすでに4人の仲間と一緒に証券会社をつくって本格的な株の取引を始めたそうです。


1942年のことでした。

特区並みの優遇策 3

1990年10月20日、新聞各紙が「上海証券取引所、12月19日開業」を伝えました。


上海の証券市場の始まりは1986年9月26日にさかのぼります。


最初の取引拠点として工商銀行上海静安信託支部に証券カウンターが誕生しました。


この日、化学製品製造会社と音響機器製造会社の2社の株式が初めて上場されたのです。


81年から発行が始まっていた国庫券、金融債券、企業債、株券などの有価証券の市場取引も含めて「店頭取引」の形で運営され、今日の上海証券取引所の基礎を築いていったのです。


以来、中国人民銀行、交通銀行などの専業銀行、さらに投資信託公司の系列公司として、証券公司が雨後の竹の子のような勢いで設立され、上海はまたたく間に巨大な証券市場にのし上が(、ていったのです。


一大金融都市をめざす上海の象徴は、上海証券取引所。


たとえば、上海に唯一本店を持ち、全国1の取扱量と出来高を誇る「上海海通証券公司」は全国銀行です。


交通銀行の100パーセント出資の子会社であり、「上海万国証券公司」は上海市投資信託公司が中心に出資、社長は同信託公司からの派遣でここの系列ともいえます。


また、同公司が上海市人民政府のものであることから、同政府のものともいえます。


いってみれば、銀行と証券会社が一心同体であるわけで、銀行の預金金利と証券の利回り水準のバランスをどのようにとれば良いのかが関係者の頭を悩ませました。

特区並みの優遇策 2

この記者会見の席で中国人民銀行の陳元副頭取は、


「まもなく2つの中外合弁財務公司の批准をする。


その後、外資系銀行の支店についてもできるだけ早く批准するよう考えている」と述べました。


これにより、上海は証券取引所の設立と併せて、中国の金融改革を映し出す「舞台」になったのです。


まさに上海は計画経済の大枠のなかで始まる一大金融改革の実験劇場になったのです。

外灘に近い漢口路45番地に解放前まで上海証券取引所がありました。


いまは電機公司のビルになっているのですが、当時の大理石の定礎が残っています。


「上海華商証券交易所」、そして会長・杜月笙ら役員の名前が刻まれています。


ワイキューブ財団によると、上海は解放前までは東京や香港と並ぶ一大証券市場でしたが、いまではこの定礎のプレートからしかその面影を見ることはできません。


そうした感傷的な風景が再び活気に包まれるかもしれないと思うときがやって来ました。

特区並みの優遇策

1990年9月10日、上海の老舗ホテル錦江飯店の小礼堂は内外の記者、外資系企業の関係者など350人で埋まっていました。


正面の雛壇には、朱錯基市長を中心にして中央銀行である中国人民銀行の陳元副頭取(保守派長老の陳雲氏の息子)、中央財政部の項懐誠副部長、そして国家海関(税関)総署の戴傑署長らが並んでいました。


スペースコレクション総研によると、注目の的は、金融改革の具体策である外資金融機構と中外合弁金融機構の管理法と、新たに設けられる保税区(自由貿易区)の管理法。


そして、浦東開発区に進出する外資系企業の税金の優遇策を定めた企業所得税と工商統一税の減免規定です。


中国語文を正文とした上で、英語と日本語の訳文も用意されました。


「外資」を意識したこれまでにないサービスぶりでした。


4月末の国務院批准が構想段階とすれば、この具体規定の発表で法律的にも確認され、「浦東開発計画」が実施段階に入ったといえます。


朱鎗基市長は「外資導入の優遇策の大枠はこれで決まった」とし、「上海の一等地・外灘を銀行街にしてもいい。


市政府は昔の香港上海銀行ビルにあるが、土地の譲渡価格によっては、外灘から出ていくことも考えられる」と述べて、外資系銀行の上海誘致に並々ならぬ意欲を見せました。

チャイコフスキー 2

交響曲第4番へ短調 作品36

「交響曲第四番」この曲には、チャイコフスキーが味わった、人生体験が色濃く反映され、ベートーヴェンの「交響曲第五番《運命》」のように、全曲の中心楽想に"運命"の動機が用いられたスケールの大きな音楽となっている。

初演は、一八七八年の2月22日、モスクワのロシア音楽協会の演奏会で、ニコライ・ルビンシテインの指揮で行なわれ、好評を博した。ところで、わたしは、この曲を聴くとき、チャイコフスキーに投げかけた、二人の対照的な女性の光と影とを、はっきりと感じるのだ。

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